首に出来たシコリが癌だった時の話する?

上咽頭癌(ステージ3)リンパ節移転の発覚から治療まで

のんびりやってます

日記書くのまた忘れてました

 

ここ最近はクーラーや空調のせいか、咳が出ます。

肺なのでやはり悪化してるのかなと思ったりもしますが元気にやってます。

 

しかし、湿気のせいか7月末から精神的に落ち込むことが多かったです。

湿気は敵ですね!

10月になったら検診です。

 

耳鳴りもずっと続いていますが、ここ2週間前位から蝉の声が聞こえるようになりました。

(今までは聞こえなかったのですが)

1か月前くらいからyoutubeでこちらを動画のスクショを取って寝るときにずっと聞いてます。

効いてるかどうかはわかりませんが、振動による治療とかもあるみたいなので

とりあえず聞いてます。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

 

上記2つの動画は周波数を調べるアプリで調べてちゃんとしてたので大丈夫です。

聴いてるだけだし、私はペットボトルのお水を携帯にあてて

528の振動を与えてから飲んでます。

効果があるかどうかはわからないですが、お金もかからないのでやってみてます。

 

あ、ちなみに人参ジュースはリタイヤしました。

やっぱり苦手なものを続けるのって生きるためとはいえ難しい。

生きる事への執着云々になると思うんですが、私は好きなものを食べて

好きに生きたいので、やっぱり人参ジュースは無理です。

飲まなきゃ、今日も飲めなかった、明日こそ…が、どんどんとストレスになっていくことを感じました。

自分の出来る範囲で何事もやっていくことが大事かなって思います。

 

ブログを書くのって本当に面倒で、忘れちゃうんですが

私がまだ元気そうにやってることで元気になれる人がいるなら安心です。

まだまだ、夏は続きそうですが皆様もお体にお気をつけてお過ごしください。

 

抗がん剤を止めました

1月半ばに再発のお知らせを頂いて、5月頭くらいまで怒涛の毎日でした。

 

どうしても抗がん剤(TS-1)での治療が嫌で、他の治療法はないかという要望に

主治医が免疫療法の治験をやっている病院があるとの事でその病院を紹介してもらい

結局、条件に合わず治験を断念したり。(その後、その治験は終了)

 

その後も、セカンドオピニオンで病院を2つ巡り、結局のところTS-1しか

方法はないという事が分かり(手足の痺れや前の抗がん剤の後遺症があるので)

延命目的ではあるけれど、その方向性で3週分は薬を飲んだと思います。

 

私に出た決定的な副作用はいくつか。

・食欲不振

・飽満感

・吐き気(たまに)

・倦怠感

・色素沈着

 

副作用が少ないと言われるTS-1でもこれほどの実感がありました。

それから、これはよく分からないかもしれないけれど

精神的な落ち込みが物凄いのです。

抗がん剤=苦しい、きつい

という概念がもう既に体にも脳にも植え付けられているので、この薬を

一生飲むのか…と思うと、精神的にきつく、落ち込んでしまい

死んだ方がましなのではないか?と思う毎日が続きました。

 

私は知らなかったのですが、父親が私の余命を主治医に聞いていたらしく

どうやらTS-1での治療をしても長くて5年生きるか生きないか、だという事。

(これは父親が私にずっと黙っていてそれでひと悶着がありましたが、またの機会に)

ちなみに治療をしなければ今年の秋か来年の春だそうです。

 

再発と聞いた瞬間からなんとなく、今年いっぱいかなぁ~と思っていたのでビンゴって感じで、そんなにショックもなく。

このまま憂鬱な気分のまま、薬を飲んで、弱っていく体で5年ほど生きるのか。

 

 

たった5年

 

されど5年。

 

のこされる側からすれば、きっとされど5年。

 

 

でも、家族は私が抗がん剤治療を止める事を止めませんでした。

とても感謝しています。

 

もちろん、治療を止めて何もしていないわけではありません。

今やっているのは食事療法&サプリ療法です。

 

グルテンフリー

・炭酸を飲まない

・人参ジュースを飲む

・補いきれない栄養分をサプリで摂取etc...

 

この考えに至るまでは色々ありました。

病院で治療することが絶対と考える人には信じられないかもしれませんが

私は今の医療に対して疑問を持っています。

今の私の身体のバグは全て癌によるものではなく、癌の治療における後遺症だと断言できます。

 

人間の体に必要な栄養素が全て揃っていれば、人間は病気にはならないと言います。

 

私は何も知りませんでした。

身体に悪いことばかりして、完治した後も病気になる前と同じ食生活を続けていました。

ストレスもためていました。

だから、再発してしまったのだと思います。

 

それ故に、これからも身体に毒を入れ続けて延命するのであれば、健康的な生活をし

出来る限り食の改善をして、体に必要な栄養を入れて行こうと思ったのです。

 

いきなりこんな話をしても、こいつ頭おかしくなったな…と絶対に思われると思うので

詳しいことは言いませんが、もし私がこのブログを来年の春以降も続けられ

元気で生きていたなら、きっと信じてもらえるかなと思っています。

 

抗がん剤を飲んでいた時よりも、気持ちが前向きで病気も絶対に治ると信じています。

 

病院の先生のいう事がすべて間違っているとは言いません。

でも、先生の言う事をすべて鵜呑みにするのも違うと思います。

 

選択する権利があるのは自分自身です。

少しでも、ガンで苦しむ人がいなくなりますように、そう願っています。

 

放射線治療による脱毛の写真

こちらは長期的に影響があったので、半年以上ずっとウィッグで生活していました。

どうせなので、派手髪にしちゃおうかなぁ~っていう感じで楽しんでましたが。

脱毛は絶対にあるので、楽しむことも必要かなって思います。

絶対に生えてきます、落ち込まないで受け止めましょう。

 

 

☆2月16日

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初めて毛が抜け始めてきた日。

シャンプーしているときに髪の毛を少し引っ張っただけで無限に毛が抜けて本当に怖かったです。

1度のシャンプーでこれだけ薄くなってしまいました。

この頃からヘアキャップを愛用し始めました。(普通に生活しても毛が抜けるので)

 

☆3月8日

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☆4月20日

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☆5月28日

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☆5月30日

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☆6月5日

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☆6月7日

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☆6月13日

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☆6月21日

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ウィッグが必要なくなったのは9月の後半くらい。

その辺からはずっと地毛で過ごしていますが、未だに右のうなじの方は毛が薄いのが悩みです…

夏の暑い時期にずっとウィッグだったのは大変でしたが、私がオススメのウィッグ屋さんがあるのでリンク貼っておきます。

 

ilovewig.jp

 

ここの天使シリーズは普段使いもできるし、バリエーションも沢山あるのでお勧めです!

 

ちなみにこの2つの派手色のウィッグは今もたまに使ってます。

エンジェリックレースフロントエッジボブ|自然な医療用ウィッグ

これのピンク


エンジェリック レースフロントフレンチボブ|自然な医療用ウィッグ

これのグレー

 

凄い可愛いです~!

ベレー帽との相性もめっちゃ良いです!

放射線治療による影響(写真)

お久しぶりです。

すっかりブログの存在を忘れていました。

 

この5か月ほど、とてもめまぐるしく色々あったので気持ちの整理をする余裕がやっと出てきました。

 

今回は放射線治療の時の首の状態を写真で載せようと思います。

(かなりのグロ画像なのでお気を付け下さい…)

 

 

 

 

 

 

☆3月18日

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放射線治療最終日。

この辺からシャレにならない位爛れてしまったので、記録の為に写メを撮るようになりました。

毎日水で洗ってもらって(自力で動けない事が多かったので)テープも張り替えてもらわないと

患部から腐った臭いがしました…

胸のはポートです、ここから点滴を入れていました。

 

☆3月20日

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☆3月23日

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☆3月24日

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☆3月25日

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☆3月26日

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☆3月27日

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☆3月28日

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☆4月2日

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☆4月3日

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☆4月4日

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☆4月11日

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今も右側の首は結構黒かったりします。

左も黒くて顔と首の色が違いますが、顔がほっそり見えていいかなくらいの感じで考えてます。

が、これから夏なのでやっぱり首はガッツリ日焼け止め塗ってます。

 

近状&1年検診結果

明けましておめでとうございます。

少し間が空きましたが、無事に新年を迎えることが出来ました。

無事という言葉を使ってもいいのか、今回はあまりよくないお知らせがあります。

最後まで読んでいただけると嬉しいです。

 

☆12月

年の瀬という事で毎日そこそこの残業をしたり、1日9時間働いたりと

中々に社畜な毎日を過ごしています。

少し無理はしているかな、でも無理も出来るかなという感じ。

 

☆1月

一月の頭に一年検診の為にCT検査

 

翌週…

結果を聞く為に病院へ

結果は肺に転移ありでした。

元々、退院後に肺に影はあったのですが、9月には綺麗に消えていたので

きっと治療による炎症だろうと考えられていた箇所でした。

そのほかにもリンパが腫れているとの事。

複数の転移が見られるため、手術での治療は不可。

再度、抗がん剤での治療になる見込みとの事でした。

(診断は、多発肺転移、肺門リンパ節転移)

 

数日後に治療計画を立てるために、前の主治医の診察を受けるために再び病院へ。

そこでキッパリと、肺がんは手術で直接切り取らない限り治らないと告げられました。

つまり、私の癌は治らないという事です。(複数の転移が見られるため)

抗がん剤治療をしてもいいけれど、結局それは延命治療にしかならないとの事。

また、私はまだ手足の痺れなど多数の副作用が体に残っています。

そうなると、使える抗がん剤の種類も限られていくわけです。

さて、治らないと分かってあの辛い治療をまたするのか…

 

治す気満々で行ったので呆気にとられるというか、沈黙でした。

抗がん剤での治療が始まりまた数か月働けなくなるのかなぁとか

髪の毛どれくらい抜けるのかなぁとか、病院暇だからWi-Fiレンタルして行こうかなぁとか

のんきな事を考えていたので、流石に私も無言。

ちらっと隣にいる両親を見ると、葬式アゲインの顔。


ごめん、まだ死んでないからその顔マジで止めてくれるか?

…と思いながら今後の人生について考える。

 

ダメだ全く分からん

 

ただ、何も考えずに主治医に発した言葉は

「治らないんだったらもう抗がん剤治療は絶対に受けたくないです、普通の生活がしたい」

でした、これが本当に私の本心です。

私は普通の生活がどれだけ恵まれているかなんて、全く知りませんでした。

 

抗がん剤の副作用が思ったより酷くなかったとはいえ、家では生活できない

誰かの介護がないといけない、仕事もできない、そんな生活が嫌でした。

なによりも、私は病気なんだと思い知らされる毎日が一番苦痛でした。

 

やっと、仕事ができて、ちょっと無理しても大丈夫な体にもなって

家族も安心して、友達にももう大丈夫だよって言えるようになったのにな。

流石の私も今回ばかりは頭と心が状況に追いつけず、放心している状態です。

 

 

病気が治らないと、ハッキリ告げてくれた先生には感謝しています。

でも、まだ余命は告げられていません。

まだ私は生きています。

 

ただ、今は少し混乱しているだけなのです。

皆さんは、病気になってそれが治療しても治らないと言われたら

一体どんな気持ちになるんだろう?そんなことを考えています。

 

私は、よくわからないです。

長生きしたいって思ったこともないし、健康も問題なく、そこそこ好きな事ばかりして

色んな人に迷惑を掛けて生きてきたと思います。

あまりに好きな事ばかりしていたので、家族には好かれていないだろうと勝手に思い込んで人間不信になっていた時期もありましたが

去年の入院で、家族や周りの人が本当に自分を愛してくれているんだなとやっと気付けました。

自分の殻に閉じこもって、憶測で他人を拒絶して、独りになっていた気でいた事に気付けただけでも凄い事でした。

身体が動くようになってからは、今自分が出来ることをしようと積極的に人の為に動けるようになってきました(当社比)

自分の中にもアガペーってあったんだな…と思えるくらいには毎日楽しく過ごせていました。

 

だからでしょうか、1か月後に死ぬと言われても、なんとなく受け入れてしまう気がするのです。

でも、残される側の辛さを私は知っています。

そう思うと、生きなくては、とも思うのです。

 

自然災害や突然の事故で亡くなる方も多い中、こんな悩みは贅沢なのかなとも思います。

贅沢だなと思いつつも、この二つの感情がずっと体中を巡っていて、どうしたらいいのか、全く分からないのです。

 

 

※ とはいいつつも、病気なんです可哀想でしょう?という気持ちでこのブログを書いている訳ではないのでそこだけご理解いただけると嬉しいです。

ありのままの気持ちを書いているので、記録みたいなものです。

少しでも多くの誰かの為になりますように。

 

経過報告&治療による後遺症

大分間が空きましたが、そこそこ元気に働いています。

 

前回は9月の前半にブログを書いたと思うので、その後の経過を。

 

☆9月(CT検査あり)

週3~4で勤務(デスクワーク中心)

やはり疲れは溜まりやすく、休日に寝ていることが多い

無理をするとその疲れがモロ翌日に残っている状態

後半はすこし残業も可能に

 

☆10月

週4で勤務

疲れやすいもののそこそこ動ける状態

休日も一日中寝たりという事はなくなったかな

洋服を作ったり小物を作ったり、仕事の合間を見て動けています。

 

☆11月

週5で勤務中

残業もしているし、遅刻しそうになったら走ったりしてます。

疲れやすいですが、体力ついてきたかなと思います。

 

 

▼治療による後遺症(色々と書き忘れていたので補足)

・目の周りの黒ずみ(色素沈着?)

これはケアしているからか、段々落ち着いてきた気がします

・睫毛がなくなる

生えます

・点滴の痕(両腕)

やっと薄れてきたかなという感じです

・脱毛

大分落ち着いてきました、もうあまりないかな

 

※ 以下、今現在も継続している症状

・耳鳴り

体調が悪くなると音量が大きくなったりします

耳鳴りの影響もあると思いますが、やはり人の多い所では声が聞き取りずらいです

 

・唾液量の少なさ

前よりは良くなってきましたがクッキーなどはまだ水分がないと食べられません

 

・手先のしびれ

常に手先はしびれた状態です

 

味覚障害

大分改善してきましたが、体調により変動あり

特定の味を強く感じたり弱く感じたり、色々です

 

・鼻喉が弱くなる

蓄膿症みたいな症状になったり、乾燥するとすぐに喉が痛くなったり

鼻づまり、鼻水が治療前よりひどくなったと思います。

 

 

▼体力をつけるためにやっていること

・スクワット

・腹筋

・マッサージへ行く(疲れがとれなさすぎる時)

どちらも回数は決めず、自分が出来る所までやってます。

PCを使っているからなのか、右側の胸の上からポートを刺して薬を流していたからかはわかりませんが

首と右肩のコリが半端ないです。

自分でも揉んだりしていますが、もう無理だと思ったらマッサージに行くようにしています。

血行の流れは大事だと思います。

寒くなってきたので、重曹風呂も復活しています。

 

 

こんな感じで、しぶとく生きてます。

ここ最近は体調のせいか、はたまた天気のせいか耳鳴りの音量が半端ないです。

耳鳴りのせいでイライラする位大きい音量だったりするので、治らないかなぁと思ったり。

食欲は旺盛な方なので、仕事中におやつをつまんだり

ご飯も三食ガッツリ食べて、お酒も普通に飲んでます。

1月には一年検診でCTの予定です。

体重は一番落ちた時期に比べると5キロは増えました。

 

今回はここまで。

そういえばこんな症状があったな、とかこういう事も書くべきかなっていうのがあったら

また書きにきます。

1月は検診もありますので、その報告がてらにも。

 

このブログが誰かのためになればと思いますが、なかなか忙しく時間が取れなくて申し訳ないです…

家族の皆さんへ

若くして癌を発症すると、相当のショックが本人にもあると思いますが

ご家族の皆さんも相当の精神的な負担があると思います。

 

私の場合、癌の通告をされた瞬間に「はい死にますね」と身辺整理始めちゃったくらいだったのであまり参考にならないと思いますが…

 

特に今までの人生に悔いも無ければ満足もないけれど人並みに充実した人生だったなと思っていたので

治療中に関しても「死が怖い」という感覚は一度もありませんでした。

ただ、一つ「治そう」という気持ちが私には湧かなかったのが問題でした。

 

両親は癌と聞いて私には見せませんが、私よりも大きなショックを受けていたと思います。

2人とも意気消沈して、毎度「この子は死んでしまうのかも…」という悲壮感たっぷりの顔で私と接していましたし、私も死ぬのだろうと思っていたので特に何も感じていませんでした。

 

しかし、妹は違いました。

妹はインターネットを駆使して一生懸命私が助かる方法を探していました。

私と同じ上咽頭癌、同じステージ、同じような境遇の人のブログを探してきて

「この人も同じだけど、治ってるし今も生きてる。お姉の癌も絶対治るから」

と、私にも両親にも熱弁してくれました。

多分、妹のこの行動がなかったら私は今このブログを書いていなかったと思います。

本当に心から感謝しています。

 

治療に一番大事なのは気持ちだと思います。

治そうという気持ちがなければ、このしんどい治療に精神的にも体力的にも参ってしまいます。

 

髪の毛が抜けた時も、味覚を感じなくなってしまった時も

どうして病気を治す治療のせいでこんな目に合わなくてはならないのだろうと思うこともありました。

放射線治療の副作用で三度の飯以上に毎日えづいて毎日胃液を吐いていた時も

癌を治す治療のせいで私の体はこんなに不自由で、治療なんてしなければよかった

治療を続けるくらいなら死んだ方がマシだと思うことも多々ありました。

 

それでも、私が頑張れたのは家族の支えがあったからだと断言できます。

毎日家族はお見舞いに来てくれました。

母は私の背中を良くさすってくれましたし、妹も母の体調が悪い時は

母の代わりになって通院の為に車を運転してくれました。

父は不器用ながらたまに顔を出すと必ず病室で爆睡してました。(何しに来たんだろうか…)

 

そんな私でも、治療中本気でこのまま死んでしまいたいなと思ったことがあります。

それが母親に罵倒された事です。

 

抗がん剤の治療が終わって退院しても眩暈などの症状が直るわけでもありません。

ましてや毎日放射線の治療も並行して体はボロボロです。

なので、私は起きていても満足に動けずPCでひたすら大食いの動画を見たりしていました。(不思議と食べられないと見たくなるのです)

それに対して、母親が「何か食べたいものはないのか提案しろ」「そうやって怠けてるから余計に体力がなくなる、運動しろ」と怒ってきました。

 

私には味覚もないし、最早食べたいものなんて浮かびませんでした。

怠けているつもりはなく、純粋に倦怠感しかなく、動けないだけでした。

 

きっと母親は元気だった頃の私と重ねて、私がまだ元気だと思い込みたかったのかもしれません。

私が平気だよと笑っているので本当に平気だと思っていたのかもしれません。

 

その言葉を聞いてから、それまでも少量しか食べられなくなってしまった食事を完全に胃が受け付けなくなりました。

生きる意欲が完全になくなったからです。

 

私だって病気にさえならなかったら、こんなにダラダラしてなかったし

他の人のように働いていたし、母親に世話にもならずに済んだ。

治療なんかして何の役にも立たないのに生きてるだけで迷惑を掛けている、死んだ方がましだと思いました。

 

察しろとは言いません。

「食べろ」「動け」「やる気を出せ」は厳禁です。

一番食べたくて、動きたくて、やる気を出したいのは治療をしている張本人です。

 

精神的にも弱くなっている相手に対して冷たい言葉を吐くことは止めてあげてほしいのです。