近状&1年検診結果
明けましておめでとうございます。
少し間が空きましたが、無事に新年を迎えることが出来ました。
無事という言葉を使ってもいいのか、今回はあまりよくないお知らせがあります。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
☆12月
年の瀬という事で毎日そこそこの残業をしたり、1日9時間働いたりと
中々に社畜な毎日を過ごしています。
少し無理はしているかな、でも無理も出来るかなという感じ。
☆1月
一月の頭に一年検診の為にCT検査
翌週…
結果を聞く為に病院へ
結果は肺に転移ありでした。
元々、退院後に肺に影はあったのですが、9月には綺麗に消えていたので
きっと治療による炎症だろうと考えられていた箇所でした。
そのほかにもリンパが腫れているとの事。
複数の転移が見られるため、手術での治療は不可。
再度、抗がん剤での治療になる見込みとの事でした。
(診断は、多発肺転移、肺門リンパ節転移)
数日後に治療計画を立てるために、前の主治医の診察を受けるために再び病院へ。
そこでキッパリと、肺がんは手術で直接切り取らない限り治らないと告げられました。
つまり、私の癌は治らないという事です。(複数の転移が見られるため)
抗がん剤治療をしてもいいけれど、結局それは延命治療にしかならないとの事。
また、私はまだ手足の痺れなど多数の副作用が体に残っています。
そうなると、使える抗がん剤の種類も限られていくわけです。
さて、治らないと分かってあの辛い治療をまたするのか…
治す気満々で行ったので呆気にとられるというか、沈黙でした。
抗がん剤での治療が始まりまた数か月働けなくなるのかなぁとか
髪の毛どれくらい抜けるのかなぁとか、病院暇だからWi-Fiレンタルして行こうかなぁとか
のんきな事を考えていたので、流石に私も無言。
ちらっと隣にいる両親を見ると、葬式アゲインの顔。
ごめん、まだ死んでないからその顔マジで止めてくれるか?
…と思いながら今後の人生について考える。
ダメだ全く分からん
ただ、何も考えずに主治医に発した言葉は
「治らないんだったらもう抗がん剤治療は絶対に受けたくないです、普通の生活がしたい」
でした、これが本当に私の本心です。
私は普通の生活がどれだけ恵まれているかなんて、全く知りませんでした。
抗がん剤の副作用が思ったより酷くなかったとはいえ、家では生活できない
誰かの介護がないといけない、仕事もできない、そんな生活が嫌でした。
なによりも、私は病気なんだと思い知らされる毎日が一番苦痛でした。
やっと、仕事ができて、ちょっと無理しても大丈夫な体にもなって
家族も安心して、友達にももう大丈夫だよって言えるようになったのにな。
流石の私も今回ばかりは頭と心が状況に追いつけず、放心している状態です。
病気が治らないと、ハッキリ告げてくれた先生には感謝しています。
でも、まだ余命は告げられていません。
まだ私は生きています。
ただ、今は少し混乱しているだけなのです。
皆さんは、病気になってそれが治療しても治らないと言われたら
一体どんな気持ちになるんだろう?そんなことを考えています。
私は、よくわからないです。
長生きしたいって思ったこともないし、健康も問題なく、そこそこ好きな事ばかりして
色んな人に迷惑を掛けて生きてきたと思います。
あまりに好きな事ばかりしていたので、家族には好かれていないだろうと勝手に思い込んで人間不信になっていた時期もありましたが
去年の入院で、家族や周りの人が本当に自分を愛してくれているんだなとやっと気付けました。
自分の殻に閉じこもって、憶測で他人を拒絶して、独りになっていた気でいた事に気付けただけでも凄い事でした。
身体が動くようになってからは、今自分が出来ることをしようと積極的に人の為に動けるようになってきました(当社比)
自分の中にもアガペーってあったんだな…と思えるくらいには毎日楽しく過ごせていました。
だからでしょうか、1か月後に死ぬと言われても、なんとなく受け入れてしまう気がするのです。
でも、残される側の辛さを私は知っています。
そう思うと、生きなくては、とも思うのです。
自然災害や突然の事故で亡くなる方も多い中、こんな悩みは贅沢なのかなとも思います。
贅沢だなと思いつつも、この二つの感情がずっと体中を巡っていて、どうしたらいいのか、全く分からないのです。
※ とはいいつつも、病気なんです可哀想でしょう?という気持ちでこのブログを書いている訳ではないのでそこだけご理解いただけると嬉しいです。
ありのままの気持ちを書いているので、記録みたいなものです。
少しでも多くの誰かの為になりますように。