首に出来たシコリが癌だった時の話する?

上咽頭癌(ステージ3)リンパ節移転の発覚から治療まで

通院期間①

▼2月3日~2月15日(特記すべき事項がある日のみ書きます)

 

▼6日

友達とランチ(勿論味はほぼ感じないw)

▼9日

重めの頭痛とのどの痛みで起床。耳鳴りもひどい。

▼10日

妹と外出。職場へ挨拶。

寝る前に胃液を吐く。

▼11日

友達と会う予定だったが、体調が悪くキャンセル。

▼13日

友達とランチ予定だったが、朝から鼻血が止まらず極度の貧血で寒さで震え、キャンセル。

放治による脱毛が始まる。

 

 

抗がん剤治療(1クール目)

▼1月25日

入院一日目。

12日のPET/CTの結果が出て、首のリンパ以外に移転はないとの事でした。

抗がん剤治療をするのに前準備として私はポートというものを埋め込みました。

抗がん剤治療は長い時間を使って点滴でお薬を流すので、腕に刺していると

血管が収縮したり、感染症の可能性も高くなってしまうので

鎖骨の下あたりにポートというものを埋め込んで、そこに針を刺すのです。

後に、ポートが原因で高熱を出してしまい最後の抗がん剤を腕から入れたのですが

負担は凄いし、未だに両腕に薄っすらあざが残っているので(最後の抗がん剤から4か月は経ってますが…)ポートは付けて損はなかったかなと個人的には思ってます。

 

▼1月26日~

抗がん剤治療1日目

 

抗がん剤治療は3日間行われます。

抗がん剤治療の前に薬剤師さんが病室に来て、薬の副作用だったり、質問を聴いてくれる時間があります。

その時に点滴スケジュールや冊子をくれるので、ちゃんと読んでれば分かります。

私はちゃんと読んでなかったのであんまり分かってなかったですが。

 

治療と言ってもすぐに点滴を入れるのではなく、吐き気止めのためだったり薬を流すために生理食塩水を先に入れます。

そして、抗がん剤治療の前に3日間《イメンドカプセル》という吐き気止めの錠剤をのみます。

結構大きいですが、飲めない場合は確か点滴でも入れてくれた気がします。

そして、前の記事に載せた点滴スケジュールに大体薬が載ってるので

ふわっと参考にしていただければと思います。

※ ざっくり説明すると吐き気止めと利尿作用の為の生理食塩水です。

 

ここからは大体の体調を書いて行きます。

 

▼26日(投薬1日目)

夜からすでに食欲なし

▼27日(投薬2日目)

ゼリーとアイスとヨーグルトしか食べてない。

朝起きた時から体がだるくてTV見るのもだるい、漫画を読むのもだるい。

ご飯は見るだけで無理。少し発熱も有。

▼28日(投薬3日目)

昨日よりは割と平気。

しかし白米と煮物は見るだけで食欲が失せる。

母に体がしんどいと言ったら背中を揉んでくれて号泣。

▼29日

めちゃくちゃお腹は空いてるけど、胸焼け感がひどく食べられない。

食べたら気持ち悪くなるのでは?という気持ちでご飯は食べられない。

本を開くのもTVを見るのも億劫になる。

今日も母に背中をさすってもらい号泣。

▼30日

お腹の具合は昨日と同じ。

午後から少し元気になってLINEも出来るように。

夜は春雨ヌードルを食べたけど、食べた後胸が苦しくてしんどい

今日で点滴が終わってシャワー浴びられたけど、シャンプーの臭いで酔う。

夜中にブタメンを食べる。

▼31日

全然眠れず、眠れたと思ったら夢見が悪く朝までうなされて気分が悪いまま朝。

そこそこ動けるが気持ち悪くなるので自由に動けず辛くて泣く。

果物を沢山買ってきてくれて食べる。身体がだるい。

▼2月1日(放射線治療開始)

ウトウトしてたら朝、お腹がゴロゴロしていた。

朝、小さいカレーヌードルを完食。

放射線治療は生肉の臭いがして、耳元で竹と竹がぶつかり合う楽器みたいな音が

近くなったり遠くなったりで気持ち悪い。

今日は比較的沢山ご飯を食べたけれど、嬉しすぎてたくさん食べたら気持ち悪くなる。

▼2月2日(退院)

昨晩飲んだ超の薬のせいでめまいがひどく気持ち悪い。

放射線治療を済ませた後、退室の準備をしているときからグロッキーで

半分死にそうになりながら帰宅。

既に味覚が死んでいて塩味がよくわからなくなっている。ショック。

 

治療について

前の記事でも少し触れましたが、私の癌は鼻の奥に出来ているので

顔をカパッとあけて手術というのは不可能です。

なので、放射線を当てて癌を小さくする治療と抗がん剤の治療を併用していくことになります。

 

全く知らなかったのですが、抗がん剤にも沢山種類があるらしく

私の治療法は以下の通りです。(意味はよくわからないです)

シスプラチン+放射線、のち、5FU+シスプラチン療法

 

抗がん剤治療

2週間に一度の投薬を三回。(点滴・要入院)

これが1セットです。

これを2セットするのが通例らしいです。

しかし、2セット目は根絶治療という事で、徹底的に癌をやっつける

という意味で行うらしく、全員が2セット必ずやるというわけではなく

中には治療が苦しくて途中で止める人も居る、という話を聞きました。

1セット目と2セット目の間は1か月ほど抗がん剤治療はお休みします。

これで約半年です。気が遠くなりました。

 

語彙力ないので、もう貰った紙を添付しますネ…

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☆主な副作用

吐き気・おう吐(今は点滴の前に多くの吐き気止めなどを入れるので、TVドラマのようにおう吐しまくる人は少ないとの事)

貧血

食欲不振

倦怠感

脱毛

手足のしびれ

 

 

放射線治療(放治)

放射線を癌に直接照射して焼いていく?治療です。

これは休まず間隔を開けずにやっていくことが大事らしく土日除いて平日は毎日照射します。

入院中は病室から通い、退院すると通院します。

照射中動くことは厳禁なので、マスクを作り、台に横たわると顔の周りから

胸元に掛けてメッシュ状のマスクで顔を固定します。

一度痛いのに我慢したら鼻がつぶれるかと思ったので、違和感があったり

痛みがあったらすぐに言いましょう。15分くらいは確実に動けません。

感じる臭いは様々見たいですが、私は鼻から抜ける臭いが生肉の加工工場みたいな臭いがして

頭の周りをカランカラン…って竹と竹がぶつかり合っている音が遠くなったり近くなったりっていう感じです。

ちなみに、処置室では毎日オルゴール調のコ○クロがBGMとして流れていたので、私は

オルゴール調のコ○クロの曲を聴くと全身が激しく拒否反応を起こして心臓がバクバクして気持ち悪くなるくらいにはトラウマです。

 

☆主な副作用

味覚障害

脱毛

唾液の分泌量の減少

耳鳴り

口内炎

吐き気・食欲不振

火傷

 

個人的には、放治の方が精神的にも、体力的にも辛かったです。

そして副作用が抗がん剤よりも強く出たと思います。

私が個人的に感じた副作用については別の記事で触れるので割愛いたします。

 

発覚後

▼12月25日(クリスマス)

世の中が浮き足立っている中、私はがんセンターにいました。

22日の時点で、上司に連絡して何とか病院の日を空けてもらったのです。

診断はやはり癌でステージはこの時点ではあやふやだったと思います。

分かったのは上咽頭の癌が首のリンパ節に移転してこの癌が発覚した、という事くらいです。

この日何故か大学病院でも細胞を取ってめちゃくちゃ痛かったし

大学病院から細胞の結果も送られてくるのにもう一度細胞を取られてめちゃめちゃ痛かったです。

結構むかつきましたw

 

▼12月26日

MRI検査

これは別の病院で撮ってもらいました。

ドゥンドゥンピーピー煩いし、先日空けたばかりのボディーピアスも全て外さざる負えず

約2万を全て無駄にしたのでしたw

 

▼12月28日

肺機能検査

CT検査

放射線科初診

よく、手術はしなくて平気だったの?と聞かれますが

私の癌は鼻の奥に出来ているので、手術は不可。

放射線治療&抗がん剤で治療していくことになります。

初診が終わった後に、放射線の副作用がどういうものなのか看護師さんから説明がありますが

私的にはもう死ぬしどうでもいいやって感じで適当に聞いてたので正直あまり覚えていないし

個人差がある、とのことだったのであんまりアテにならないなぁ~と

かなり舐めた態度で聞いていた過去の自分をどうにかしたいです。

 

▼1月7日

放射線科・咽頭外科再診

家族全員で行った気がします。

ここら辺あんまり覚えてないです。

 

▼1月12日

PET/CT検査

癌の進行具合を詳しく見るために行う検査です。

この検査は兎に角待ち時間が長い。

まず着替えて、身長・体重を測定。

何か紙に記入して、処置室で薬を投与され、その後待機室で水を飲みながらひたすら待機。

その間、漫画なども読んではいけないので、ひたすら目をつむる。

音が鳴って知らせを聴いたらトイレに行って検査台に横たわって30分動かない。

もう寝るしかない。半分寝てます。

それが終わったらまた待機室に戻り30分位休んだ後また音で知らされ着替えて帰宅です。

 

(1月14日から日記を書き始めました。)

 

▼1月16日

歯医者

抗がん剤治療などをすると歯医者にかかれないらしく、歯医者に行く。

虫歯ゼロ!

いつもお世話になっていた先生に事情を説明すると「そうか、戦ってくるんだね!」と声を掛けられて何となく泣きそうになった記憶があります。

歯医者が終わった後いらないアニメのグッズなどをまとめたり掃除をしていたら2時間ほどたっていたそうです。(日記より)

そのグッズは翌週売りに行ってます。完全に身辺整理始めてますね。

 

 

入院は25日から。

そして抗がん剤治療は翌日からです。

もうなんだかとっても憂鬱な気持ちながら入院の前日、同人即売会にいってるので

死ぬ気なのか生きる気なのか全然分からなくて日記読み返してるとめっちゃ笑えますw

が、個人的にこの日に挨拶した人にはもう最後かな…なんて思ってたので

自分の中ではかなり感慨深いイベントになったと記憶しております。。。

はじめに

▼9月

最初に違和感を感じたのは、9月末。

仕事の休憩中に、首のマッサージをしていたら右耳のすぐ下にしこりがあることに気付きました。

今までそんなしこりはなかったし、少し気になるので次の週の休み、すぐに病院に行きました。

 

▼9月29日

最初は、自宅近くの内科。

症状を説明すると、レントゲンを撮るかもしれずこの病院の施設では対応が出来ないとの事で

隣駅の少し大きめの病院を紹介され、咽頭科にかかったと思います。

その日は原因が分からず、二週間後に病院へ来るように言われました。

 

▼10月13

経過観察

2週間後も腫れているようなら来るように言われる。

 

▼11月

ひと月ほど用事が立て込み、11月にもう一度診察。

悪性リンパ腫の可能性もあるが、この病院では分からないため

大学病院に紹介状を書いてもらう。

 

▼12月15日

大学病院にて診察。

その際、首のシコリから細胞を取られる。(めっちゃ痛い)

そして何故か鼻の奥にもピンセットを入れられ細胞を取られる。(死ぬほど痛い)

 

▼12月22日

先週の診断結果。

なんとなく嫌な予感がして、初めて母親を連れて病院に行く。

先生から「残念ながら、癌ですね。お若いので、早めに治療をされることをお勧めします」と告げられる。

そして癌専門の病院へ紹介状を書いてもらい、家族会議。

 

ざっとこんな感じです。

 

癌を告げられた時は、勿論びっくりはしましたが何となく最悪の事態も考えて覚悟していたので個人的には落ち着いて受け止めた気がします。

6年前に部位は違いますが、癌で友人を亡くしていたので「癌=死」というイメージが強く

・・・短い人生だったな、と瞬時に死を覚悟し、家にあるオタクのグッズどうしようかな…と悠長な事を考えていた気がしますw

 

一番精神的に辛かったのは、両親に癌だったと報告する事でした。

病院を出てすぐ、がんセンターの封書を見せた時「何でお前なの?」と泣き崩れた母と

実家のリビングで、結果を報告すると小さな声で何度も「そうか…そうか…参ったな…」と呟いた父親の顔は今でも忘れられません。