首に出来たシコリが癌だった時の話する?

上咽頭癌(ステージ3)リンパ節移転の発覚から治療まで

家族の皆さんへ

若くして癌を発症すると、相当のショックが本人にもあると思いますが

ご家族の皆さんも相当の精神的な負担があると思います。

 

私の場合、癌の通告をされた瞬間に「はい死にますね」と身辺整理始めちゃったくらいだったのであまり参考にならないと思いますが…

 

特に今までの人生に悔いも無ければ満足もないけれど人並みに充実した人生だったなと思っていたので

治療中に関しても「死が怖い」という感覚は一度もありませんでした。

ただ、一つ「治そう」という気持ちが私には湧かなかったのが問題でした。

 

両親は癌と聞いて私には見せませんが、私よりも大きなショックを受けていたと思います。

2人とも意気消沈して、毎度「この子は死んでしまうのかも…」という悲壮感たっぷりの顔で私と接していましたし、私も死ぬのだろうと思っていたので特に何も感じていませんでした。

 

しかし、妹は違いました。

妹はインターネットを駆使して一生懸命私が助かる方法を探していました。

私と同じ上咽頭癌、同じステージ、同じような境遇の人のブログを探してきて

「この人も同じだけど、治ってるし今も生きてる。お姉の癌も絶対治るから」

と、私にも両親にも熱弁してくれました。

多分、妹のこの行動がなかったら私は今このブログを書いていなかったと思います。

本当に心から感謝しています。

 

治療に一番大事なのは気持ちだと思います。

治そうという気持ちがなければ、このしんどい治療に精神的にも体力的にも参ってしまいます。

 

髪の毛が抜けた時も、味覚を感じなくなってしまった時も

どうして病気を治す治療のせいでこんな目に合わなくてはならないのだろうと思うこともありました。

放射線治療の副作用で三度の飯以上に毎日えづいて毎日胃液を吐いていた時も

癌を治す治療のせいで私の体はこんなに不自由で、治療なんてしなければよかった

治療を続けるくらいなら死んだ方がマシだと思うことも多々ありました。

 

それでも、私が頑張れたのは家族の支えがあったからだと断言できます。

毎日家族はお見舞いに来てくれました。

母は私の背中を良くさすってくれましたし、妹も母の体調が悪い時は

母の代わりになって通院の為に車を運転してくれました。

父は不器用ながらたまに顔を出すと必ず病室で爆睡してました。(何しに来たんだろうか…)

 

そんな私でも、治療中本気でこのまま死んでしまいたいなと思ったことがあります。

それが母親に罵倒された事です。

 

抗がん剤の治療が終わって退院しても眩暈などの症状が直るわけでもありません。

ましてや毎日放射線の治療も並行して体はボロボロです。

なので、私は起きていても満足に動けずPCでひたすら大食いの動画を見たりしていました。(不思議と食べられないと見たくなるのです)

それに対して、母親が「何か食べたいものはないのか提案しろ」「そうやって怠けてるから余計に体力がなくなる、運動しろ」と怒ってきました。

 

私には味覚もないし、最早食べたいものなんて浮かびませんでした。

怠けているつもりはなく、純粋に倦怠感しかなく、動けないだけでした。

 

きっと母親は元気だった頃の私と重ねて、私がまだ元気だと思い込みたかったのかもしれません。

私が平気だよと笑っているので本当に平気だと思っていたのかもしれません。

 

その言葉を聞いてから、それまでも少量しか食べられなくなってしまった食事を完全に胃が受け付けなくなりました。

生きる意欲が完全になくなったからです。

 

私だって病気にさえならなかったら、こんなにダラダラしてなかったし

他の人のように働いていたし、母親に世話にもならずに済んだ。

治療なんかして何の役にも立たないのに生きてるだけで迷惑を掛けている、死んだ方がましだと思いました。

 

察しろとは言いません。

「食べろ」「動け」「やる気を出せ」は厳禁です。

一番食べたくて、動きたくて、やる気を出したいのは治療をしている張本人です。

 

精神的にも弱くなっている相手に対して冷たい言葉を吐くことは止めてあげてほしいのです。